被害者からの解放

「浮気」をしたカップルを第三者から見ると、浮気をした人が「加害者」で、された人は「被害者」という捉え方をします。

 

恐らく加害者である浮気をした張本人は「加害者になってしまう」意識なんてなかったかもしれない。
「浮気は悪いことだ」という罪悪感は抱えていたかもしれない。
だけどしてしまった浮気。
発覚した後、傷つき、ショックを受ける被害者の姿を見ることで、事の重大さに初めて気が付くのかもしれません。

 

「被害者」である浮気をされた方の中には、以前からうすうす浮気を疑っていた方もいるかもしれません。
それでも疑惑が現実になった時、予想以上のショックを受けたはずです。
パートナーの浮気を全く予想すらしていなかった方にとっては、突然のことで、驚きの出来事すぎて、しばらく事実を受け入れることすらできない方もいるようです。

 

浮気が発覚すると、当たり前ですが二人の関係はこれまでと同じようには行かなくなります。
様子を見ている第三者から見ても明らかに「何かあった」と予想出来るはず。
結婚している夫婦の場合、どちらかの浮気は身内や会社の人にも知れ渡ることもあります。
一人で抱えきれず友人に相談したくもなるでしょう。

 

 

「被害者」のままでいいのですか?

第三者に二人の「浮気」事件が知れた時、浮気をされた方にかけられる言葉は
「可哀そう」「大丈夫?」「大変だったね」等の言葉。
それは「被害者」にかける言葉や慰めの言葉。

 

厳しい言葉になるかもしれませんが、被害者として優しく扱われると、「被害者意識」がどんどん自分の中に定着し、それに甘んじるようになるのが一般的です。

 

「あなたは何もしていないのに浮気されて可哀そうな人」
このように扱われれば「加害者が悪くて、被害者である自分は可哀そうな人」という意識が植え付けられます。
これは、加害者であるパートナーが「何故浮気をしたのか」「どうして二人がこうなってしまったのか」という問題の本質から目をそらすことになります。
何年も何十年も「被害者の私」「加害者のあなた」という関係が続きます。

 

「被害者だから可哀そうだね」という優しい言葉に甘んじているのは楽かもしれません。
でも、楽だからとそこに居座り続けてしまうと、結局は浮気の苦しさや寂しさ、悔しさ、憎しみから逃れることが出来ないのではないでしょうか。

 

浮気をしたパートナーや浮気相手に憎しみを抱くということは、いつまでも相手に固執しているということ。
これって考え方を変えたら悔しいと思いませんか?
自分を傷つけた相手にいつまでもしがみついている自分の姿を想像してみてください。
悔しい相手にしがみついているなんて、余計にみじめに感じてしまいませんか?

 

難しいことですが、「被害者意識」を手放すこと、自分を解放することが「浮気」を過去にする一番の方法なのです。

 

あなたには未来があります。
ずっと浮気をされた被害者でいる必要はありません。
ご自分を浮気というイヤな記憶から解放してあげてくださいね。